その3 年末の大解放
RAS®︎の解放コース、ファシリテーター養成講座を受けている期間、並行して病院での治療も受けていました。
養成講座が終了した時期あたりから、徐々に治療の効果も及ばなくなり、じわじわと数値が上がってきたのです。
見えてくる次の手 = 抗がん剤治療、死の恐怖、自分でもわかるほど、追い詰められていきました。
抗がん剤治療は初めてではありません。
一度は、私を寛解の状態に導いてくれた治療でもあります(ただし、あくまでも延命治療であり、いずれはまた再発することが前提の治療法でもあります)。
受け入れることで手放せる、とRAS®︎でも言われてるし、なんとか抗がん剤治療を前向きに受け入れよう(そして手放したい)。
SNSで同じ状況下でも明るく前向きに治療に取り組んでいる人の投稿を読み漁ったり、♾を描くワークをしたり…。
忙しい方だし、といつもなら遠慮していためぐみさんに、一日中メッセージを送ったりもしました。
「私は今、全力で癌患者として生きている」と自分でも思いましたが、抜け出る方法がわからない。
そんな日々を送りながら迎えた年末のことです。
今後の治療方針を検討しましょう、と言われていた日が近づいていたある日、週に2〜3回通っていた陶板浴に行くために、電車を待っていた時でした。
突然、私は夫と姉にメールを送っていました。
「抗がん剤治療はしたくない。自然療法でやっていきたい」
姉にはさらに「母は心配もあって反対するのではないかと思うので、一緒に説得してほしい」。
実は、メールを送ったのは覚えているのですが、なぜメールを送ろうと思ったのかは、まったく覚えていません。
それまでは抗がん剤治療を受け入れよう、と必死だったのに、いきなり真逆の決心をするに至った気持ちの変化は、自分のことなのにサッパリわからないのです。
完全に消化してしまった感情は、記憶に残らないそうなので、そういうことなのでしょう。
少し後になって、私が受け入れるべきだったのは、抗がん剤治療ではなく、「抗がん剤治療は嫌だ!」と強く思っていた自分の気持ちだったんだな、と思ったことだけ、覚えています。
突然そんなメールを送られて、驚いたであろう夫と、電車を降りて陶板浴のお店に向かいながら、電話で話しました。
いきなり涙が出てきて、ダーダーと泣きながら電話する、怪しい通行人になっていました😅
顔馴染みの陶板浴の店員さんも、泣きながら店に入ってきた私を見て戸惑っていました。
この後しばらく、周囲の人とこの決心について話をするたびに泣いてしまい、相手を驚かせたりしましたが、溜め込んだ感情を消化するために、必要な涙だったのだと思います。
悲しくもないのに、ただ、涙だけが出てくるといった感じでした。
この2通のメールを送ったこと、たったそれだけのことが、私に大きな解放をもたらしました。
この日を境に、何枚も重ね着していた服をバリバリと脱ぐように、それまでの精神状態はなんだったのか?というくらいに、みるみると気持ちが楽に、前向きになっていったのです。
今まで溜め込んでいた解放が一気にきた!と感じました。
劇的ビフォーアフター、自分でも戸惑うくらい、あの辛かった気持ちがどこかにいってしまいました。
この気持ちだけで、癌が治るんじゃないか、と思ったくらいです。
年末年始で里帰りした際に、RAS®︎を紹介してくれた友人に会って話をしたところ、昔の私に戻って安心した、と言われました。
それまで、追い詰められて、相当おかしくなっていたそうです。
セッションを受けるだけじゃダメなんだよ、やっぱり自分から動かないと!とも。
RAS®︎の師匠であるめぐみさんも、アウティングは大事、と説いています。
自分の気持ちを受け止めて、周りに伝えることは、「望まない現実」という色水が入ったコップをひっくり返して、空っぽにするということ。
そうすることで、コップの中に新たにキレイな水(望む現実)を入れることができるのです。
「セッションさえ受ければ自動的にストレスから解放される」という落とし穴からも、抜け出しました。
そんなに大きな行動でなくてもいい。
ただ、自分の今の状況は、自分にしか変えられないものであり、そしてその力は、誰しもが必ず持っている。
RAS®︎は、そのお手伝いをしてくれるものである、と思います。
未消化の感情を押し込めて、固く蓋をしてしまった箱と言える「信じ込み」。
私は、RAS®︎セッションによってその箱の蓋を開けたけれど、そのままずっと放置していました。
自分の本当の気持ちを認めてメールを送る(アウティングする)ことで、箱をひっくり返し、中に押し込められていた感情を消化することができたのです。
これが、私がRAS®︎セッションを受けることで体験した、最大の解放体験です。
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